2010/10/18

平成22年10月17日(日)

昨日は「てっちゃん」にとって重大なイベントがあった日である。たまたま私が豊田駅をJRの最寄り駅として住んでいなければ、わざわざ見に行くことはなかっただろうが、それにしても貴重な体験であった。

以前、京浜東北線で鉄ヲタがひどい騒ぎを起こしたという報道があったが、昨日の豊田駅は(多分)適度な騒ぎだったのではないかと思う。日野市が田舎だからだろうか。というか、駅で最期の瞬間を見たかった人と、沿線の撮影名所に三脚でも立ててここという瞬間にカメラに収める人とで別れたからかもしれない。

現に私が自宅を出た時(最期の瞬間の1時間以上前である)、数人のカメラ持ちが(さすがに三脚は持っていなかった模様)駅とは逆方向に向かっている姿を目にしたのである。私はどちらかというとこの引退イベントというものはどうなのかを見たかったので、もちろん最期の出発になる豊田駅に向かった。ただ最初にカメラ持ちを見た以外は全く同じような人は見なかった。ルートの問題であろうか、むしろ最寄り駅が長沼駅(東京都)だからであろうか。

で、駅に1時間前くらいに着くと、まだ最大限の混雑ではなかったにしろ、既に騒ぎが始まっていた(とはいえ、先述のように本物の鉄ヲタが騒ぎを起こしたという意味ではない)。まぁ中央線201系は、単なるてっちゃん向けだけのイベントではなく、さまざまな問題を起こしたにしろ、古くからの中央線沿線住民にとっては、私のようなにわか日野市民の何倍も感慨が深かったものではないか。ちなみにテレビ局のカメラもTBS、フジテレビ、テレビ朝日のものを確認した。

ただ1時間前は早すぎたと見え、少し時間をつぶすために駅北口のマクドナルドに入った。いたよ、いかにもな人が。確かにこのイベントは中央線から201系が引退するものであるから、イメージカラーはオレンジであるのは当然であるが、だからってオレンジ色の服を着なくてもいいだろうに(ちなみにTシャツの方の前面にはその201系がプリントされている)。

そこからは私も沿線住民なのか、単なるてっちゃんなのか分からない様子で、豊田駅の入場券を購入して、反対側のプラットホームに入った。既に引退運転の201系はホームに入線していた。それでさまざまな貴重な写真を撮ることができたが(あくまでもやじ馬のことがメインである)、最も驚いたのは、出発の瞬間にやじ馬たちが大声を上げて、中には「ありがとう」と叫んだ人もいたのと、電車のタイフォン(汽笛のてっちゃん用語)が最大限に、いつもより長い時間鳴らされたことである。

私自身は正面からの撮影は始めから断念していて、せめてと思ったとおり、何とか最後尾の写真を撮ることは成功した(ただし他人の頭が少し邪魔)。で、思ったのはいわゆる鉄子さんも意外に多かったことと、以前の引退運転に関するマスメディアの報道にあったような殺気だった騒ぎはなかったことである。やはり豊田は田舎で、そこに10時半前に来るのは難しかったのか。それともその最終運転の車両に乗ることができるのが、事前に指定券(というかイベント券)を購入した人だけだったからなのか、残念なことに鉄道イベント初体験の私には分からない。

それで私の昨日1日が終わったわけではない。実は結構な荷物を持ち歩いていたのだが、それらはすべて図書館に返却する書籍であった。ゆえにまずは駅に近い日野市立中央図書館に向かった。せっかく7冊返却したのに、また7冊借りてしまった。これでは重量が変わらないではないか。そして、近くのバス停(日野駅南口。マイナーだけどあるのだよ)から高幡不動駅に向かい、京王線で聖蹟桜ヶ丘に行った。これは木曜日に返しそびれたCD付きの書籍を手渡しで返却するためである。こちらは2冊返却しただけなのに、5冊借りたので、逆に重量増である。

まぁその後京王線で自宅最寄り駅に向かって、自宅に戻ったわけであるが、それで1日が終わったわけではない(そりゃ正午過ぎくらいだからね)。借り物(図書)を整理したり、机上がかなり狭くなってきたので、それの整理を試してみたり(結局うまくいかなかったが)した後は、いつものように国際メル通にのめり込んだ。のめり込んだとはいえ、アジア人専門というのは少々問題かな。何だかヨーロッパ言語に自信をなくして、母語の日本語なり、ブロークンでも何とか通じる英語を使える東アジア系(あと、時差が少ないのもメリットかな)中心というのは、国際メル通としては少々器量が狭いような気がするな。

まぁ東アジアといっても、こういう場に出てくる人は大抵反日なんかではないごく普通の人だね(逆に言えば、反日な人はわざわざ日本人なんかと交流しようとしないかね)。ただ困るのはこういう趣味に走る人は大抵若い子が多くて、私くらいの年齢になると、年齢が釣り合う人が少なくて困るのだよね。まぁ、だから大抵は「~さえあれば年の差なんて」方式で、大学生くらいの年齢の人とメール交換することが多い。まだあまり深く交流している人はいないので、各国でどう違うのかとかを論評するわけにはいかないが、先述通り反日な人は出てこないから安心して(さすがに中国あたりだと少し注意しないといけないが)メールを送ることができる。というか、議論を呼ぶような話題は避けているという話もあるが。

で、夜中に寝るか徹夜するか迷ったが、一応クリニックとの約束でなるべく生活習慣は守るようにということなので、睡眠薬を飲んで夜の12時過ぎに就寝した。

なお、昨日中央線から引退した201系そのものは首都圏においても京葉線・外房線・東金線ではしばらく現役で活躍するし、近畿圏に行けば、大改造されているものの引退云々という話は聞いていないので、まだ乗る機会は一度ならずあるはずである。むしろこちらでは(千葉や)八王子から大宮へ行く快速「むさしの」号そのほかに使われている115系の命運の方が気になる。中距離電車なので、走行距離が長いから、部品にガタが来て、ほかの地域の201系より先に引退する、何てこともありえるかもしれない。清水に住んでいたころによくお世話になった中電が引退する方が私にとっては気掛かりである。後継車?E233系の中電型を作ればいい話ではないか。

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